東京高等裁判所 昭和26年(う)3671号 判決
一件記録と対照すれば、原判決が「被告人宇津の当公廷における供述」として挙示したのは、原審第一回公判期日に検察官の起訴状朗読後同被告人が裁判長の「被告事件について陳述することがあるかどうか」との問に対し「事実はその通りであるので別に述べることはない」と答えたその供述を主として指していることは明らかである。論旨は、右の供述は証拠調前の罪状認否の段階における認容の供述であるにすぎないから証拠となるべき筋合のものではないと主張するのであるが、右の供述は一面において所論のような認容の趣旨を含むとしても他方一定の事実の陳述たる性質をも有することは疑のないところであり、またそれは裁判官から刑事訴訟規則第百九十七条第一項に従い陳述をすれば自己に不利益な証拠ともなり又利益な証拠ともなるべき旨を告げられた後になされた供述であることに徴しても、これを証拠として使用することは許されると解すべきである(最高裁判所昭和二十五年(あ)第二〇九二号同年十二月五日第三小法廷判決、判例集四巻一二号二四八六頁、同年(あ)第二四九〇号同二十六年七月二十六日第一小法廷判決、判例集五巻八号一六五二頁参照)。しかもその供述の時期がいわゆる証拠調の段階に入る前であつたかどうかはあえて問うところではないのであつて、それは、当事者としての被告人の地位とある意味における証拠方法としての被告人の立場とを判然区別しない現行法の建前上自然にそうならざるをえないのである。それゆえ原判決には所論のように虚無の証拠を罪証に供した違法があるということはできず、論旨は理由がない。
同第二点及びA弁護人の控訴趣意中法令の適用に誤があると主張する部分について。
(前略)
ただ、職権でさらに調査するのに、原判決は被告人宇津の(一)から(六)までの所為を併合罪として処断している。そのうち(一)、(二)、(四)及び(五)は猥褻の文書又は図画を販売した所為であるが、刑法第百七十五条にいわゆる販売とは不定多衆に対してする目的に出た有償的な譲渡行為を指称するものであつて、その性質上多数の行為が反覆されることを当然予想した概念であるから、いやしくも同一意思の発動としてなされたものと認められる限り、その数個の譲渡行為はそれぞれ別罪を構成するものではなく、これを包括的に一個の犯罪として処断すべきものである(大審院昭和十年(れ)第一一六六号同年十一月十一日判決、判例集一四巻一九号一一六五頁参照)。
次に、(三)及び(六)は猥褻の文書図画を販売の目的をもつて所持した行為であつて前述の各行為とはややその趣を異にするのであるが、しかし「販売」と「販売の目的をもつてする所持」とは同一構成要件内における行為の具体的態様を異にするものであるにすぎないと解すべきであるのみならず、販売の意義にして前述のとおりである以上、その目的をもつてする所持自体その反覆を当然予想される性質のものであると同時に、販売にはその前提として所持を当然随伴する関係からいえば、販売行為とその目的のためにする所持とも必然に相互に反覆されることの予期されるものであるといわなければならない。
しからばこの両者もまた包括して一罪となることの可能なものであるというべく、記録によれば被告人宇津の(一)から(六)までの原判示所為は同一の意思の発動としてなされたものと認められるから、それらは結局包括して一罪を構成するにすぎないものといわなければならない。
しかるに原判決は前記のようにこれを併合罪として処断しているのであつて法令の適用に誤があり、しかもその誤は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、同被告人に対する原判決は弁護人のその他の論旨につき判断するまでもなくこの点において破棄を免れない。